もふもふぱんだのちょっとハードなガジェ話

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祠の中のMSX爺さんの武勇伝

こんにちは

今日も私のブログへお時間をいただき

ありがとうどざいます

 

今日の東北は梅雨らしい曇り空です

今日もかな〜り湿度が上がってきています 

元台風7号の影響なのでしょうね

日本海側の地域では豪雨に気をつけないと

いけないようです

ニュースでも元台風◎号の表現がされていたりと

なんかちょっと変な感じです

そのうち台風◎号メンバーが・・・

なんて表現されりして・・・

台風がきたぞ (いのちを守る防災かみしばい じしん・つなみ・たいふう)

台風がきたぞ (いのちを守る防災かみしばい じしん・つなみ・たいふう)

 

さぁ今回もしばしの間

私の小噺へお付き合いください

 

今日も昨日に引き続き

憧れだったMSXのお話です

今回はMSX爺さんの武勇伝を聞かせてもらいましょうね

MSX 【HB-101】 レッド

今回はソニーのHITBITさんにお話を伺いました

彼も祠の中で眠っているMSXマシンです

発売当時のMSXの標準スペックを

教科書通りに纏ったふつうの人生を送った彼も

ちょっと変わった武勇伝を持っています

実は彼の兄弟が

秋山豊寛さん(当時TBS社員)

が世界初の宇宙特派員として

記者の肩書きで旧ソ連の宇宙ステーションへ

滞在した時に一緒に宇宙で活躍してきたそうです

一部ののメデイアでは旧ソ連の宇宙船の制御に

使われていたような記述もありますが

もちろんそんなに重要な役割は難しかったようです

制御の補助的なことは担ったでしょうけど・・・

しかし実際に宇宙ステーションで

多用されていたそうです

世界初の宇宙特派員派遣の際は

地球へ送る画像の処理に日本のSONYが製造した

MSXコンピュータのが使われていたそうです

私も当時自宅で約1週間の間宇宙からの映像に

釘付けになっていたことを思い出します

 

ちょっと話はそれますが

結果的に秋山さんが世界初の宇宙特派員に

なったわけですが

直前までは菊地涼子さんという女性が特派員として

宇宙へ向かう予定だったそうです

直前に虫垂炎を発症してしまい

急遽バックアップの予定だった秋山さんになった

逸話も残っています

こちら宇宙特派員!―宇宙に行ってみた!

こちら宇宙特派員!―宇宙に行ってみた!

 

 ところで話をMSX爺さんのに戻しましょうね

この宇宙で活躍したMSXですがなぜ他の機種でなく

MSXだったのでしょうか?

画像の処理ならもっと性能の高くて

信頼性が高くて軽量の専用機器が

開発されていたいたはずなのですが・・・

これには深〜いわけがありそうなのでちょっと

調べてみました

 

当時は冷戦の真っ只中なご時世だったので

日本などの国からの精密機器の輸出は

COCOM(対共産圏輸出統制委員会)

わかりやすくいうと

「喧嘩になりそうな所には

武器になりそうなものは売らないでね委員会」

っていう国際団体の規制で

通常のコンュータ機器や

精密工作機械を資本主義の国の間で

申し合わせて共産主義国へは輸出を

控えましょうってことをしていて

ソ連の体制が崩壊するまで続いていました

コンピュータの世界では8ビット機と言われる

Z80NECμPD8080などの8ビットCPUを搭載している

コンピュータは規制対象外とされていました

使おうと思えば弾道計算や

兵器の設計・軍事情報の暗号化などもできるはずですが

処理速度や実用性の問題でそういった分野ではなく

教育用や趣味の分野での使用が想定されていたので

除外されていたようです

この8ビットと物を規制してしまうと

子供のおもちゃや家庭用の電子機器まで

輸出にに制限がかかってしまうという

事情もありますが・・・

 

COCOM規制や冷戦については 

冷戦―その歴史と問題点

冷戦―その歴史と問題点

 

こちらの本でどうぞ 

 

とそういった理由で価格的にも安価で

性能もそれなりのこのMSX

近年まで

海外では教育用として利用されていたそうです

中にインターネットにも繋げられたMSX

あったそうです

とってもびっくりですね

今日はこの辺にしましょうね

また次回もMSX爺さんの話が続きますよ

それでまたお会いしましょう

またねーヽ(;▽;)ノ