もふもふぱんだのちょっとハードなガジェ話

最新のデジタルガジェットから生活ガジェットや明治レトロなガジェットまで楽しく幅広く!!

太平洋戦争後の電話事業〜通信の歴史日本編〜

こんにちは 今回も

私のブログへお時間をいただき

ありがとうございます

今朝のおおぞらは

いつものようにくもさんとおひさまが
仲良く追いかけっこしています
とっても気持ちのいい秋晴れの空に
なっています
このブログをお休みしていた間に
すっかり季節は秋にかわり
もう長袖を着ないと寒く感じる季節になりました

本当は夏休みの自由研究のきっかけにと
思い はじめたこの話題ですが
私自身がお休みをいただいてしまったので
今シーズンの自由研究には 間に合わなく
なってしまいましたが
このままもうしばらく私自身の自由研究として
インターネットのご先祖様である
電話の話を続けさせてくださいね!
初めてこのブログをお読みになられる方は
私の夏やすみ前のブログ
夏休み!!スタート・夏のネットの誘惑!
↑あたりからお読みいただければ
内容が繋がってきます
お時間のあるときにどうぞよろしくお願いします

今回は第二次世界大戦後の東京からスタートです

皆さんもご存知の太平洋戦争
世界中が戦争と言う名の混乱に巻き込まれた時代でした
同時にその戦争によって通信技術や輸送技術も
必要に迫られて急速にそして飛躍的に
発展した時期でもありました
当時の日本でも前にも紹介した通り
ダイヤル式の自動電話の普及が進み
貨物自動車が走り
現在の私たちの生活の礎になっています
上の写真は昭和8年に製造された米国製の
ダイヤル式電話機です
太平洋戦争が激化するまでは米国も
日本ともちろん友好的に交易していましたので
技術やこのような工業製品も輸入されていたそうです
しかしながらある日を境になぜか日本は孤立の道に
進んでしまいます
私のブログで紹介した 北のひめゆり事件まで続いていきます
ここでは戦争や思想のことは
あまり書き込むことはしませんが
ご興味のある方は他の方のページや
公的機関が詳しい情報を書いていますので
そちらでご確認ください

暗い話題ではなくここでは明るい話題で話を進めていきます

この電話機は電電公社マークから終戦後の
日本の成長期に作られたものです
実はこの電電公社
それまで国営で進められていた
日本の電気通信事業を公共化するために
戦後に日本を一時的に占領していた
米国をはじめとする連合軍の政策で進められた
ある意味不思議な組織です
国が大株主となり受益者にも(電話をひく人)に
でんでん債と言う名前の債権を買ってもらい
株主のようなものになってもらい運営する
特殊公営企業です
JRに変わった国鉄
JT塩事業センターになったたばこ専売公社も
連合軍の政策で公営事業体へとこの時期に転換されましたが
電話事業は他ものと違い受益者にも
債権の形で資本参加してもらうことで
ちょっと違う形態だったそうです
近年電電公社の株式を国が放出し
民営化を進めNTTに変わるときに
色々と負の部分を言われていましたが
別の視点からみると
日本の技術開発の礎を築くためには
必要な政策だったのかもしれません
それまで戦争のたに軍に従事していた技術者を
平和的な新しい技術開発へ向けさせ
そして国の資金で国を挙げての新技術の開発を進めました
また日本全国にくまなく通信設備を網羅するためには
純粋な民間資本のみでは当時の日本には難しかったかもしれません
のちにこの話題も書きますが
その資金力と技術力でも
つい最近まで通信孤立地域もありました

日本の携帯はガラパゴス携帯だったなんて
言われ方もしていますが
日本で開発された移動通信の技術が
現在の携帯電話の基礎技術へ生かされています
皆さんがよく知っているテレビゲームなどに応用されている技術も
含まれていますし
これらが発展統合してスマートホンが産まれていくことになります

さぁ
今日はこの辺にしましょうね
次回は戦後すぐの日本の通信事情から
少しづつ紐解いていきましょうね!
それではまたお会いしましょう
またねーヽ(;▽;)ノ


〜編集後記〜
前回にブログ再開の予告編的なものを
書かせていただきました
お休みをいただいている間に
色々と整理して
気持ちを新たにブログ更新を再開しますね!
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夏休み☎︎北のひめゆり☎︎特集

こんにちは
今回も私のブログへお時間をいただき
ありがとうございます

今朝のおひさまは朝からとってもまぶしいです
いつもの朝の200%増量中な感じです
台風の影響もあって
ゆっくり休んで体力を蓄えて
さらには大空のステージも
台風さんが綺麗にお掃除して行ってくれたらしく
いつも以上にとっても綺麗なので
直接おひさまの笑顔が降り注いでいます
私の町では
今日から 夏祭りです
いつもの散歩コースの役所前も
イベントのステージが組まれていました

さぁ今回も引き続き
インターネットのご先祖様の
電話の話を続けていきましょうね
前回にお話しした通り今回は
ダイヤルのない電話の話に戻ります
前回の話題の最後にも書きましたが
ひめゆり・・・の話です
ひめゆりと聞くと

このお花よりも


↑この殉死を悼んだ
ひめゆりの塔を思い浮かべる人が
おおいのではないでしょうか?

今回紹介する真岡郵便電話局は
北のはずれの樺太にありました
今のロシア領です北海道の北側にある
縦に細長い島です
今はこの島のユジノサハリンスク
日本の領事館も作られています
明治終盤から終戦まで樺太
南半分は日本の領土でした
この樺太でも国内の情報を伝えるために
新聞やラジオ放送もされていたそうです
そして電信業務と電話業務ももちろん
行われていましたその業務をしていたのが
真岡郵便電信局です
通常の郵便業務の他にも
本土からの電信取次や樺太島内外との電話の交換業務
をしていたそうです
当初は日ソ中立条約に基づき樺太島内での交戦は全くなく
終戦を迎えると思われていましたが
終戦間際の昭和20年8月9日突如として
旧ソ連が日本へ侵攻を始め
国境を接していた樺太真岡の地も戦場に
巻き込まれることとなります


電信士や郵便取扱業務は男性職員がほぼすべてでしたが
電話交換業務はやはり女性が多かったそうです
この真岡でも大勢の若い女性をが
電話交換業務に当たっていました

交戦状態になった樺太
このままでは一般の住民を
巻き込む恐れがあるので8月12日に
急遽島ぐるみの緊急疎開措置が取られます
しかし電話・電信業務は軍への連絡も含まれており
停止するわけにはいきません
8月17日の最終疎開措置後も
役20名が電話交換業務
のために残ることとなります
そして8月20日
いよいよ攻撃の手は真岡郵便電信局へ
向けられます幸いなことに交換手が銃弾で
いのちを落とすことはなかったのですが
拿捕された後のソ連兵からの暴行をおそれ
数名の電話交換担当の女性交換手が
自決をしてしまったというのが
この北のひめゆりの悲しいところです
生存して生き残ったスタッフは無事に
親元へかえることができたそうです

さらにはみなさんお気づきと思いますが
このお話いつもと違い
日付がやけに詳しく書いてあると思いませんか?
私たちの知っている

終戦って昭和20年8月15日の

ポツダム宣言受諾の玉音放送
戦闘は終わったと習いませんでした?
このお話での最終戦闘は8月20日です?
なんかズレがありますよねぇ
日本からすれば北の端
ソ連からすれば東の端
ですので情報が伝わってくるのが
遅れたと言い訳するしかありませんが
最先端の情報を繋ぐはずの
電話局が巻き込まれた事件なので
現在であれば考えにくい
状況なのかもしれませんが
実際にあったそうです
もっと早く終戦の報が
ソ連兵に伝わっていればと
もどかしく思います
そして北の空に散っていった
ひめゆりのご冥福を祈って
73年後の平和な日本から
きっとそちらにも届きますよねぇ
だって通信の仕事していた人たち
ですものねぇ・・・


それではまたお会いしましょう
またねーヽ(;▽;)ノ

 

〜編集後記〜
いかがでしたか
今回はこの時期ですので
ちょっとだけ太平洋戦争のお話を
書かせていただきました
平和で公平なサービスの象徴のような
電話にも戦争は影を残していました

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夏休み☎︎黒電話と自動交換機☎︎特集

こんにちは
今回も私のブログへお時間をいただき
ありがとうございます

今朝のおおぞらは
やはり私の住んでいる南東北でも
台風の影響なのか曇り気味の空です
あめさんも昨日の夜からシトシトと優しく
降り注いでいます
私の体調も台風につられているのか
昨日の夜から崩れ気味なので
今朝はお散歩をお休みにしています
私の街を駆け抜ける電車も
週末の豪雨の影響で今週は
終着地を変更しての運行になっています
今回の台風の影響でまた・・・とならないように
祈っています

さぁ今回も引き続き
インターネットのご先祖様の
電話の話を続けていきましょうね
今回も前回に引き続き自動交換機のお話です
前回は線を繋ぎかえる側のお話をしました
今回はその前の段階で電話番号を伝える
手段はどうしたの?ってところです
もちろん肉声で機械に話しかけても
今市販されているスマートホンなら
電話を繋いでくれるでしょうが
当時の機械は理解してくれません
それで思いついたのが・・・

 
電話のダイヤルです
これは少し時代が進んで昭和8年ごろに
使われていた電話機の米国版です
日本でもほぼこれと同じデザインで
ほぼ同等の製品が作られていたそうです

 ↑これになるともうしこし時代は進んでいます
わかる人にはわかる懐かしの電電公社マークから
終戦後の日本の成長期に作られたものです
どちらも同じ方式で電話番号を伝えています
数字のとことろの輪っかに指を入れて
右回りに留め金のところまで回して
そこで輪っかから指を離すんです
それで番号を伝える仕組みです
もちろん1とか2とかの数字を直接伝えようとすると
最低でも0〜9までとアース用の線で11本もの線が
必要になってしまいます
できればもっと少くしたいですよねぇ
・・・で考えられたのが
電気のオンオフのタイミングを見ていれば2本の線でも
なんとかなると考えて
それを誰でも簡単に表現できるようにしたのが
上のダイヤルです
ある意味世界で初めて実用化された
デジタル通信なのかもしれませんねぇ
やっとガジェットの話に近づいてきましたね!


このような方式なので
当時は電話線が切れそうになると
まちがい電話を自動的にかけてしまい
幽霊電話?なるものが起こったそうです
数字の1なら1回のオンオフ
9なら9回のオンオフで電話番号を判定していたので
110や119などが緊急の連絡番号になったと
言われています

最初の11は素早く伝えられるものです
最後の一桁が0や9なので故障していても
10回連続のオンオフの信号は続かないだろう・・・
と思ったのでしょうね

当時の電話のダイヤルの判定方式が
もっと違うものだったならば
救急車や警察への電話番号が今とは
違うものだったかもしれませんね

それでも電話の故障由来の間違い電話は結構
発生していたそうですよ
もちろん今は番号を伝える仕組みがもう少し
進化してほとんど
間違い電話は起きませんよ
この話はもう少し時代が進んだら
お話ししましょうね!
・・・と自動交換機のお話を書いてきましたが
さすがにここまで複雑な機械となるととっても高価です
なかなか普及は進まなかったようです
日本では大都市での普及は早かったようですが
地方ではすべての通話が自動交換になるまでには
昭和40年代後半までかかることとなります
次回は真岡郵便電信局のひめゆりたちのことを
書きますねお楽しみに!

それではまたお会いしましょう
またねーヽ(;▽;)ノ

 

〜編集後記〜
なんとなく私の書きたいものが
形になって見えてきました
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夏休み●電話を繋ぐ!●特集

こんにちは
今回も私のブログへお時間をいただき
ありがとうございます

今朝のおひさまの表情は
こんな感じの元気一杯の朝を迎えました
私はひのでとともにおひさまに
おさんぽにさそわれて今日もあさのおさんぽです
きのうは一日くもさんの上でゆっくり体力を蓄えていた
おひさまが朝のを照らしてくれています
台風が近づいているのでちょっと心配ですね
影響が少なくて済むことを祈っています

さぁ今回も引き続き
インターネットのご先祖様の
電話の話を続けていきましょうね

前回悪いことをしてた葬儀屋さんの身内が
仕事を取られちゃった

自動交換機のお話です

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/24/T%C3%A9l%C3%A9graphie%2C_Systeme_Strowger.jpg/440px-T%C3%A9l%C3%A9graphie%2C_Systeme_Strowger.jpg

↑こんな写真見ても何なのかわかりませんよねぇ
実はこれが例の仕事をとったちょう本人の自動交換機さん
の心臓部です
下端の部分がコンセントの代わりです
この部品の約7割を占める上の部分はその
コンセントを動かす動力になっています


電話交換機H型とA型の動作 門司電気通信レトロ館


実はこれ機械式計算機の仕組みを応用したものに
なっていたりします
f:id:sarpanda75:20180808140857p:plain
こんな機械見たことありませんか?

今の電卓とは違いますよ!
これは国立博物館に展示されているものだそうです
歯車を回転させることによって
計算をする機械です
通常は足し算と引き算しかできない仕様です
歯車を回す回数を変えることで割り算や
掛け算もできる代物です
昭和50年ぐらいまでは技術計算や事務作業に
そろばんとともに使われていたそうです
これに数字を入力する作業と同じ方法を使って
コンセントをつなぎかえようとしたのが
上の自動交換機です
この機械に
『0000番に電話を繋いでください』
と話しかけてもわかりませんよねぇ
そのお話は次回に詳しく

 

さぁ今回はこの辺にしましょうね
次回も引き続き自動交換機のお話です

それではまたお会いしましょう
またねーヽ(;▽;)ノ

〜〜追伸〜〜
実は今回写真で登場していただいた
昔の電話自動交換機ですが私が幼い頃
遊んでいた記憶が今でも残っています
あのカタカタカタと忙しく動く機械の音が
忘れられません
実は・・・
私の父がこのA型交換機の技術員をしていて
よく夜間や休日に緊急の保守作業が入ると
連れて行かれたのを思い出します
なんとかお盆前に父のことを思い出しながら
書いていますちょうどこの時期にこのテーマに
なることをとっても不思議に感じています

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それではまたお会いしましょう

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夏休み●葬儀屋さんがダイヤルを生み出した!●特集

こんにちは
今回も私のブログへお時間をいただき
ありがとうございます
今朝もおそらの表情からスタートです


今朝も雨降りです
昨日の集中豪雨はおさまって

今朝の雨はしとしと優しい雨になっています
いつもはおひさまの目覚めと共に
おさんぽしている私ですが
今日はさすがにお散歩をお休みにしました
電線の上ではすずめたちが
朝のミーティングをしています
いつもならもっと早い時間にミーティングを終えて
各地に散らばっているはずなのですが
今日は集まって打ち合わせしているようです

まもなく八月十五日終戦の日ですね
私の父は毎年この時期になると
自身の戦争体験をよく話してくれました
父もまだ幼かったはずの体験のはずなのですが
よく子供の目から見た戦争の話をしてくれましたねぇ

今特集している電話の話題もまもなく
日本が戦争へと向かっていく時代に入ります
戦争と電話の関係も書いていきますね!
お楽しみに!

さぁ今回も引き続き電話の話を
続けていきましょうね
前回は『電話を繋ぐための電話?』のお話でした
コンセントを繋ぎかえることでより多くの人と
繋ぐことのできるようになった電話ですが
人間の手によってそのコンセントは
繋ぎ変えられていました
そのコンセントを繋ぎかえる人が
自己の利益を考えたらどうなるでしょう?
実はやってしまった人がいました


むか〜し昔とある国のとある街での出来事でした
最近葬儀の電話がめっきり少なくなった
葬儀屋さんがいました
この街には葬儀屋はもう1社あります
これまではお互いにいいライバル関係を築いていましたが
最近あちらの会社にばかり葬儀依頼の
電話が入っているようです
なんかおかしい?と感じていました
人づてに聞いてみるとどうもあちらの葬儀屋さんの
身内が電話局で電話を繋ぐ仕事をしているのを
知ることになります
最初はまぁそれなりに依頼の電話も入ってくるし
もう少し頑張れば・・・と思っていましたが
日をおうにつれ依頼の電話は全くならない状態へ
葬儀はほぼあちらの葬儀社が独占状態です
ある日知人にお願いして葬儀依頼の電話を
してもらったところ
なぜかこの街に葬儀社は2社あるのに
何も言わずに相手の葬儀社に繋がれてしまいました
また別の人にもお願いして電話をしてもらいましたが
全く同じ結果です
最後にはこちら側の葬儀社へ
葬儀のことで電話ですと伝えても相手の葬儀社へ
繋がれてしまいます
そして彼は思いました・・・
人間の手で繋ぎ変えているから
こういうことが起こる・・・と
それで当時の電話技師だった
アルモン・ストローガーさんに相談します
そして開発されたのが皆さんも目にしたことがある

f:id:sarpanda75:20180807114032p:plain*1

ダイヤルのある電話機と
自動電話交換機が開発されます
この自動交換機の考え方が機械式計算機の考え方
応用したものなっていてさらには現在のパソコンに
繋がっていきます
・・・でさっきの不公平に電話を繋いでいた人は
どうなったのかと言うと
この自動交換機に置き換えられてしまい
違う仕事を探すことになったそうですよ!
悪いことはしちゃいけませんねぇ

さぁ今回はこの辺にしましょうね
次回は交換機の仕組みについて
少しお話ししましょうね
それではまたお会いしましょう

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*1:By Kbrose - Personally created photograph., CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30751224

電話をつなぐための電話?

こんにちは 今回も私のブログへお時間をいただき ありがとうございます 今朝の おひさまの表情です この時期のおひさまは 朝の4時過ぎに目を覚まして お散歩においで~ と声をかけてくれるのですが 今日も夏バテ気味のようです みんなが動き出す6時まではくものお布団で ゆっくりしていたようです 今朝は私の住んでいる街の役所の前で 毎日平和を祈っている

この二人と 一緒にお日様のことを心配していたら 布団の中から ”今日もよろしく!” と おひさまが顔を出してくれました 熱中症には気を付けてねって 言ってましたよ

紫陽花さんも 何とか 路のはじで 熱中症に耐えて 咲いています 私たちも熱中症に気をつけましょうね

さぁ今回も引き続き

今回夏休み特集を続けていきましょうね!

今回は当時の電話の繋がる仕組みを

少しお話しましょうね!

ちなみに当時の電話は電線で

つながっていました

もちろん今のような携帯電話はありませんよ! 電線の先は通話したい相手と

つながっていなければ電話はできませんよね

当時の電話機にはプッシュボタンも

ダイヤルもありません!

さぁどうやって相手の電話線と

つなぎましょう?

話は簡単です最初期は1対1で

電話をしたい相手と専用の電線を

作っていました

糸電話の電気版ですねぇ

今でも特別に重要な通信は

この方式で行われています

途中で横取りされてしまうこともありません

間違って変な所へ

電話して しまうこともありません

いわばインターホンの大規模版だったのです

しかしこんなことを続けていれば

連絡したい人が多いと

電話機も沢山必要になるし

街の中に電線をたくさん巡らすので

そのための工事をするのにも

多額のお金が かかることになります

そこで当時開発されたのが

「手動式交換機!」

電話と電話をつなぐための電話?

なんです

手元にある電話と拠点となる電話局等と

一対の電線でつないで

電話局で待っている人に

000-0000番

の電話につないでほしいことを伝えて

電話局の中でコンセントを繋ぎ変える要領で

電線をつなぎ変えるわけです

こうすれば電線は少なくて済みますよねぇ

今現在もこのコンセントをつなぎ変える

作業を形を変えて行っていくことになります

しかし人手が必要ですねぇ

この人間の手でつなぐことでこの後

問題が起こって

機械で自動的にこの作業をするものが

開発されていきます

そしてその過程で今のパソコンの原型も

うまれていきます

 

それではまたお会いしましょう

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夏休み子供電話でそーだん?輸出第一号は日本?

こんにちは

今回も私のブログへお時間をいただき

ありがとうございます

今朝のお日様の風景です

とうとうお日様も疲れが出てきたらしく

お目覚めはくもさんに助けてもらっているようです

地上で暮らす私たちも

助けらてもらえてちょっと一休みできるかなぁ

 駅前で毎日待っていてくれるみんなと

うわさをしてきました

 

さぁ今回も引き続き

今回夏休み特集を続けていきましょうね!

 

前回やっとみんなの知っている電話の発明者の

グラハムベルさんが登場して

この世に電話システムが生まれることができました

その電話が日本へ輸出されたお話からスタートです

 

アメリカで電話網が急速に整備されていく中

やはり国内だけにとどまるわけにはいかないのが

技術の波です

輸出を考えていたアメリカ人は第一号の輸出先に

日本を選び2台の電話機が輸出されます

ヨーロッパでは前回書いた通り

アメリカとは別に電話を開発していた人がいますし

次回お話ししますが世界で初めて

1台の電話機を複数のところへ繋ぐための機械(交換機)を

開発したのはハンガリーの通信技師ですので

輸出できるのは日本しかなかったのが

実情なのかもしれません

ここはやはり日本人です

その1年後の1878年には日本国内で複製品が

製作され

部品も全て完全国産化されています

日本の国内でも電信のみの通信ではやはり

日本語特有の文字種の多さや

同音異議語の問題で通信の難しさもあり

電話網の普及が急がれます

1883年には当時鉄道や

電信網の管理をしていた役所の

役人が国営電話事業の建議書を政府へ嘆願しています

それから7年後の1890年に

日本初の公衆電話網(一般でも使える電話網の意味です)

東京市内と横浜市内で開設されます

同時に東京ー横浜間の市外通話サービスも

開始されることになります

もちろん前述の通りこの時点では国営で電話事業が

行われています

↑こんなタイプの電話機だったそうです

ただし当時はまだダイヤルはないですよ! 

 

今回の電話の話はここまでにしましょうね

次回は当時の電話の繋がる仕組みを

少しお話しましょう

だんだんガジェットの話に近づきてきていますかねぇ

そろそろ商品紹介で毎回お邪魔している

ちょっと硬くて食べられない”ラズベリーパイ”の

ご先祖様も出てくるかなぁ

 

それではまたお会いしましょう 

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